安楽椅子の知識人?

こんにちは。ちろるです。

 

多忙につき久しぶりの執筆となりますが、こうして日常を振り返る機会というものは手放すには惜しく、こうして執筆をつづけています。

 

最近は図書館で本を借り、読み漁るのが日課になりつつあります。そこで夏目漱石の『三四郎』に現在読みふけっておりますが、冒頭で三四郎が平気で弁当の空箱を電車の外に投げ捨てるシーンには驚きました。
当時の常識、感性といいますか。現在とこの時代のギャップというものを知るうえで文豪の書物というのは大変参考になりますね。

他にも樋口一葉の『たけくらべ』を読破致しましたが、男女の艶めいた駆け引きを連想させる遊里の街を舞台として、十代の少年少女の純粋ないじらしさを表現するという意外性が素敵でした。彼女が死去する約一年ほど前に書かれた作品だったと知ると、さらに物語の枠では収まらない魅力を感じますね。

 

日々の授業やレポートを忘れて、激動の時代に執筆された本を開くのは、どこか自分が知識人になったようで得意になってしまいます。

そんな自分に嫌気がささないのも、図々しいでしょうか。